冷や飯中華食堂

シェフの気まぐれ専門店

歯医者の話

歴史上の人物も結構虫歯が原因で死んでるらしいですね。

 

ここ一年間ずーっと見て見ぬふりをしてきた虫歯にとうとう向きあって歯医者に行ってまいりました。隕石でも落下したのかよってぐらいの大穴が空いてるのは舌で触るたびに分かっていたので、「いや~虫歯があるなんて全然気付かなかったんですけど! ちょっと痛いかなーって思って来ました! もしかして虫歯なんですかねーやっぱりー!?」という言い訳も出来ず、普通にごめんなさい放置してましたって言いました。26歳なのに……。

お医者様的にも驚異的な放置っぷりだったらしく、バイ菌の繁殖度次第だけど神経全抜きじゃ済まないかも、というかそれ以前に神経が炎症を起こしてて今日は全部神経抜けないかも、とっくに抜歯できる程度の麻酔はぶっ込んでるのに全然効かないね、やっぱり無理だまた次回……と、もう途中から半笑いで「へぁい、へぁい」と答えるしかないぐらいに絶望的なお言葉を並べられてきました。つらい。

 

しかしいつも思うんですけどね、治療中の患者ってお医者様の側から見てどう映ってるんですかね。僕なんかは完全に痛みへの耐性も無ければ恐怖を抑える術も知らないビビリなので、どこの忍者だよって勢いで両手で印を結びまくることで苦痛の時間を過ごしてるんですが。一度あまりにぶるぶる震えすぎて「頑張れ! 頑張れ!」ってコールが起きましたからね。そりゃあ「へぁい、へぁい」って答えますよね。半笑いで。熱狂渦巻くライブ会場の如きコール&レスポンスですよね。まぁ特殊な例はさておき、これ、第三者の視点で見たら相当マヌケな絵ですよ。

だから僕は提唱したいのです、歯科への手つなぎアシスタントの導入を。手を繋ぐっていう行為の意味、繋がっていることで与えられる安心感というのは素晴らしいものがありまして、かのPS2の名作ゲーム『ICO』で手つなぎが大々的にフィーチャーされた時は思わず膝を叩いたものでした。

歯の治療中に乳が当たる、っていうちょいエロ体験ってよく聞くじゃないですか。昔々に通ってた歯医者ではわざとなんじゃねえかってぐらい露骨に当てられて「デンタルヘルス」って文字列をまじまじと見つめてしまったこともあったんですが、もうそんなのは古いですよ。これからは手つなぎの時代です! 全国の歯科医さん、是非ともご一考ください!

 

そういえば、数日前にもこういうしょうもない記事を書いてたよね……。すみませんでした(半笑い)。

同級生の話

お久し振りですか?

 

明日は念願のお休みということで、機会を外したままなんとなく伸ばしっぱなしにしていたらすっかり荒地のようになってしまった髪を切りに行く予定なのですが、実家暮らし+地域密着型の美容室+十年来の付き合いという条件が重なると気苦労も多いのです。

こういうとこじゃ世間話の一つや二つ交わすのは当然ですけど、ここ、正直僕も名前を聞くまで思い出せなかったような小・中学校時代の同級生の結婚情報が毎度毎度毎度飛び出してくるんですよ。最初は返す言葉に本気で困ったあまり寝たふりを決め込んだりしてたんですが、よくよく考えたらみんなまだそんなに地元に住んでたの!? って言うかこの店、僕の同級生しか使ってないの!? と思うと割と面白くて、最近は笑って話を聞けるようになりました。

というか、地元の街を歩いていても同級生と遭遇することなんてほぼ無いに等しいのにこれだけ噂を聞くって、ホントみんなどこで暮らしてるんですかね。なんか実は、僕が「あー思い出したー!」って勘違いしてるだけで、全然知らない人の情報とかを貰ってるのかもしれないね……。ご結婚おめでとうね……知らないけど……。

 

ところで、もうずっとこのお店に通ってるので、一般的に髪を切ってもらう間にする世間話がどういうものかがよく分からないんですが……「前世の話」「祖父が有名な相撲取りで、浅草寺で大々的な葬式をあげた話」「E.T.の話」が頻出するとてもいいお店ですので、近くまでお越しの際には是非ともご案内差し上げたい思いでいっぱいです。

今でもたまに寝たふりします。

夜の街の楽しみ方の話

深夜徘徊。

 

深夜に散歩をするのが割と好きです。夜の静けさと匂いに包まれ、昼間とは全く違う顔を覗かせる町並みは、いつもとは違った不思議な魅力を……とか素敵げに書き出しといてなんなんですけど、ここは素敵げな文章を書くブログではないのでとっとと本題に入りますね。僕が夜の街を歩いていて一番好きなのはずばり、「エロ本探し」です。

……えーっと、大体の人がついてきてないと思うんですが、大丈夫ですか? 続けますよ? 先に書いといたほうがよさそうなので説明しますけど、持って帰ったりはしませんよ? 犯罪になる気がするし。ただ僕は、「そこにエロ本が落ちている」という事実がどうにも面白おかしく、何よりも意味のあることだと思って、街中のエロ本を探しています。

なんといっても、男性にとっては宝物だったはずのものですから。それを捨てるに至るにはきっと並々ならぬ覚悟があったに違いありません(単に具合が良くなかっただけかもしれませんけど)。そして、落ちているエロ本あれば、拾う小中学生あり。まさに世代交代、意思の継承、遺産相続、そういった儀式めいた行為だと僕は思うのです。

 

ただ、結果はといえば、定番スポットのはずの森や河川敷に落ちているところは見たことがありません(このイメージ自体どこ発祥なのか疑問ではありますが)。古紙回収の日、ゴミに混じってビニール紐で結われた山をたまに見かける程度です。それも極々稀のこと。デジタル化の弊害は間違いなくあって、その一つはこの儀式の機会が減り、街全体の歴史の循環……エロ・サイクルとでも言うべきものが上手く機能しないことなのではないでしょうか。

今の小中学生がどこでエロ本を拾っているのか……。それはインターネットであり、保護者が忌避するアングラサイトであるのでしょう。つまり、我々大人がエロ本を捨てることにより、世界は少しだけ平和になるのです。宜しくお願い致します!

 

最後に言い訳しておきます。今日はキスの日なのでえっちな記事を書こうと決心した結果がこれなんですけど、皆様はこんなことをしてないで健やかに隣人にキスして一日を終えてくださいね。

ゆうべもあまりに眠れなくなって散歩してたんですが……、まあこんな酷い内容の後にアレですけど、深夜の街を歩く行為そのものは目的に関係なく結構楽しいのでオススメです。野良猫なんかに遭遇する機会も多いし、なんだか気分も晴れますよ。別にエロ本は探さなくていいですけど。

おわり。

お祭りの話

お祭りごとが好きです。

 

好きとは言ってもそうなったのはここ十年ぐらいの話であって、昔はお祭り、というか、みんなが一緒にワイワイやるようなイベントが大体苦手でした。一体感? ライブ感? 説明しづらいんですが、ちょっと斜に構えてた子供になら誰でもあると思うんですよね、そういうのが嫌でたまらない時期が。

僕はと言えば、倣え右と言われたらぷいと左を向くような絵に描いたようなクソガキでしたから、お祭りごとや学校行事の類に本気で臨んだこともあまりなく。まぁ、「ちょっと男子ー!」と怒られるのもまたステレオタイプな学生生活の一つなのかもしれませんが……ともかく、お祭りごとが嫌いだったんです。

そんな意識が変わったのはたぶん高校生活の中ごろで、「このまま思い出づくりを拒んでたらこの先思い出すものが何もなくなる!」と急に焦りだしまして。ちょうどアメリカへの短期留学も差し迫っていた時期だけに、色々タイミングが良かったんでしょう。二度とない経験をしっかりと楽しむことができて、僕の中で明確に何かが変わった感覚がありました。自分探しみたいですね。自分はアメリカにあったのか!

 

普段出来ないことを目一杯楽しむということ。これを意識してやるのに時間が掛かりすぎたなーと、今になって振り返ると心底思う……。昨日の金環日食にしたって、以前の僕なら絶対に寝て過ごしましたもん。それがもう、浮き足立っちゃって。「なんか……なんかスゴイんだよ!」って説明するのも割と恥ずかしいので、こっそり起き出して屋上で見ました。お祭りごとが好きになった僕は、満足顔でそれを見ました。

とっくの昔に記憶の彼方に消えてしまったことだけど……、もし次に「お祭りに行こうよ」と誘われたときには満面の笑みで「うん」と答えたいなと、そう思いながら日食を見て、そしてこの記事を書きましたとさ。

 

もうすぐ夏が来るよ!

鹿の話

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思い出の味。

 

今日は久しぶりに鹿刺しを食べました。また食べたいとずっと思ってたのでホクホク顔。馬刺しのほうは気付いたら随分メジャーな食べ物になってましたけど、鹿刺しは普通のチェーン居酒屋じゃ食べられませんものね。記憶にある通りの味で、なんだか色々思い出したー。

僕は鹿だとか猪だとかの獣肉に該当するお肉が大好きなんですけど、味云々よりもたぶん獣肉って概念自体が好きで、これ完全に幼少時の体験が元になってるんです。

 

もう正確には覚えてないんですが……、小さな頃によく遊びに連れて行ってもらっていたダムのふもとに民家を改造したようなお店があって、そこの大きな囲炉裏で塩焼きにした魚を食べるのが大好きでした。裏手に広がる山にはハイキング向けのコースこそあったものの人と遭遇することは滅多に無く、弓矢を作ってもらったり蛇と戦ったりとアウトドア派の父の本領とも言える遊びをよくしていた記憶があります。それら本で読んだような野性的な生活そのもので、なんとも刺激的な日々でした。

そんなある時、お店で食べたのが鹿刺しで。幼少時の僕には「鹿!? 刺身!? えぇー!!」とあまりに衝撃的な取り合わせだったんですが、これがまた美味しくて。獣肉とは名ばかり、全然獣っぽさの無い素直な味が鹿の特徴なんですよねー。可愛い鹿の姿を思い浮かべると食べづらい、っていうか残酷ー! って以前のバイト先では言われましたけど、北海道じゃそれこそ害獣としてその辺ウロウロしてるらしいし、あんま気にしちゃダメだと思う……。

 

と、食卓を囲いながらそんなことを思い返してたんですが、実はちょうどつい最近も鹿刺し食べたさにお店を探してたんですよ。昔遊びに行ったお店はとうに存在しないらしいものの、浅草に獣肉の専門店があるという噂をキャッチし……高ー!!! 昼に「~2万円の予算」って、鹿一頭丸々調理でもすんのかよ!? と盛大にずっこけてたので、ゆうべの食卓は猛烈にテンションが上がっておりました。

なんか、お酒の持ち込みもオーケーらしいんですけど、持ち込み料として一本二千円取るらしくて。たぶん獣肉という名のドラゴンとかユニコーンとかの肉が出るんだと思うので、お近くにお住まいの石油王の方は一度お試しあれ。

新宿の話

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存在感。

 

昨日は新宿にお出かけしてました。上の写真は御苑の中だとどこからでも見えるデカいタワーなんですが、何かと思ったらドコモタワーらしいです。僕は「バットマンがよく頂上でカッコつけてるゴッサムシティのビル」か「真・女神転生IIのカテドラル」のどっちかだと思ったんですが、前に上野の科学博物館で恐竜の化石を観た時「プレステのパラサイト・イヴの博物館ステージだ!」って感想を述べてダダ滑りして以来こういう回答は控えておりますのでその場ではグッと堪えて今ここで言いました。あと、スティーブン・キングの短編にもこんな高層ビルの周囲をグルっと回らせる話がありましたよね。って書けば書くほど誰も付いてこないのでもういいんですけど……。

御苑自体はとても楽しかったです。都会のど真ん中であんなに心穏やかな時間を過ごせるなんて思わなかった。でも、広すぎて入口付近しか散策しないまま閉園時間を迎えてしまったのが口惜しいので、次は『ネオ・アトラス』みたいに計画立てた航路図を敷いて上手いこと散策しないと……あっ、また誰も付いてきてない……!

 

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先日に引き続き、ネパール料理屋さんにも行きました。今回は「サンサール」さん。普通にインド料理っぽいメニューをチョイスしちゃったんで特に言うこともないんですが……いや、あるっちゃあるんですが、「生まれて初めてサラダの小皿を一人で完食しました」って26歳がメシ食った感想としてどうなの感が凄いので内緒にしておきますネ。ドレッシングが美味しかったです。

あと、店員のおじさんが小動物的な可愛さを振るまいててずるい……! って思って眺めてたんですけど、本当の名物店員は毎週金曜日にしか新宿店にやって来ないらしいです。ちゃんとしたネパール料理(前回紹介した「ダルバート」ってプレートが全ての基本らしい)を食べるついでに再挑戦したいな。

 

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セットメニューに含まれてたナンもメチャクチャ美味しいしメチャクチャデカくて素晴らしかったです。僕はこれまでの人生で美味しいナンを食べたことがなかったので、「ナンだこりゃ!」って思いました。「ナンだこりゃ!」って。

 

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えー、御苑住まいらしき猫の写真でお茶を濁して締めたいと思いまーす。チャンチャン。

一人称の話

僕が俺で俺が僕で。

 

誠に個人的な話で申し訳ないのですが……と書き出してから一秒で謝りますが、このブログで個人的じゃない話ってしたことない気がしますね。それはさておき……ツイッターのサブアカウントで使ってる一人称を「僕」から「俺」に戻しました。誰も気にしねーよそんなこと、って思われるでしょうが、自分にとっては割と重要な選択だったんです、これ。

 

たとえば僕は、日常会話では「俺」ですが、仕事で打つメールでは「私」になりますし、素を出せる場所……こことかでは意図的に「僕」を使います。一人称をその時々の立ち位置によって変えるのは当然のことだと思いますが、これが面白いのは、ゲームでステータス配分の違うキャラを使い分けるようにしてお手軽に思考回路を使い分けられるところでした。

が、そいつが行き過ぎると「僕」に言わせてるからオッケー、みたいに本末転倒な考え方に至ってしまって。誰でも読める場所に書き込む以上、誰かに読まれていると意識するのは当然だけど、誰かに読ませていると意識した時点でその文章は意味合いが変わってしまいます。そうして自分に甘えた内容の言葉を呟いてしまうのがすごく嫌だったんですよね。というワケで、ようやく頭の中を整理するに至ったワケです。

……いや、このブログでまだ「僕」を使うのは、ほら……楽屋裏みたいなものですから。いいの!

 

ついでに。たまに創作系の文章を書くとき、僕がいの一番に考えるのは内容そのものではなくて「主人公の一人称」です。ツイッターの話から入ったのでツイッターの場合で話しますが、はじめに「俺」がいれば「俺」が考えそうなこと、しそうなことってなんだろう、というところからひとネタを練り上げるのが普段の作業工程となります。一瞬で読み終わるような文字数だからこそ、一人称ひとつで口どけが変わるし、一文字の差でイメージする情景も変わると思うのですよね。

冬の帰り道、コンビニで買う中華まんみたいにサッと食べてパッと満足できる、でも味は千差万別、そんなpostが目標です! 宜しくお願いいたします!